マイ・ビートルズ

投稿日:2015年11月20日|カテゴリ:コラム

4月に、ポール・マッカートニーのコンサートを家族とともに東京ドームに観に行ったのですが、それ以降、我が家では、車に乗るときはビートルズの曲をかけている。家族では私以外、あまり知らなかったので少し聞かせてあげたいという気持ちからでしたが、意外であったが、小学生の長男が入れ込んでいる。家にいるときは、鼻歌で歌っていますね。オリジナルは約220曲。私も半分以上は知っている。小学生時、発売されたアルバム「アビイロード」以来、ビートルズは聴いてはいるものの、聴くたびにいつも何となく距離感があって、心をヒリヒリさせるようなものを感じ、彼のようにのめりこめはしなかった。「お父さん、この曲の間奏で変な雑音がはいってるね」などと細かく聞いてくる。そういえば確かに、と再確認させられたりして。

丁度いいやと、どさくさまぎれに英単語の意味を教えたりしている。「リボルバー」と「ラバーソウル」がお気に入りだそうな。

小学校の時聴いていたサイモンとガーファンクルやカーペンターズは、たくさん素敵な曲がそろっていてよく聴いていた。でも、「いいよね」で済ませられる。

ビートルズはそうではないのだ。複雑で、何となく落ち着かせてくれない。でも、そういうところもあい変わらず魅力になっていると思う。世の中のシステムに組み込まれない。音楽シーンの中で反逆児なんだけれど、才能があるので認めざるを得ない。それまで彼らを見下していた大人たちが、勲章をもらったとたん評価が変わったということも聞く。社会のシステムに組み込まれたように見えることで安心する人たち世の中にたくさんいる。

年を重ねたせいか、昔よりもビートルズは耳触りが良い。何故なんだろうと思ったりする。子供を通してのビートルズと向き合うことがちょうどいい重さになっているということなのだろうか。